パーントゥへの批判

パーントゥが嫌い。
なまはげが嫌い。
泣き相撲が嫌い。
嫌がっている子の頭を噛む獅子舞が嫌い。

今年“伝統行事”パーントゥの祭りを偶然テレビで初めて見た時、私が泥を塗られたわけじゃないのに、嫌悪感と悲しさで痛くてぼろぼろ泣いてしまった。

2歳くらいの時に両親とTDLへ行った日「三匹の子ぶた」の怒った顔の子ぶた(大人サイズ)が私の頭を撫でてこようとした。怖くて泣き叫んで拒否したのに私を抱いていた母は笑っていて、怒った子ぶたに私を差し出して私は怒った顔の子ぶたに頭を撫でられた。
すごくすごく嫌だった。怒った顔の子ぶた(大人サイズ)に頭を無理やり撫でられるのも、怖いって嫌だって意思表示しているのに怒った子ぶたに私を差し出した母親も。(もっと言えば泣き叫んでいる私の頭を仕事の名目で撫でた子ぶたの中身の人も。私だったら仕事でも絶対撫でない。怖がらせてしまったら謝るの一択しかない。)

小4の時家族旅行先の秋田で観光客向けのなまはげ体験(?)(無意味に怖がらせられる方の体験)を仕方なく受けた。その時は泣いてはなかったと思うけれど、そういう「伝統」「中身は人間」「観光商売の一つ」と分かっていても凄く凄く怖かったし凄く凄く嫌だった。ただ身を固くして、大声を浴びせられるのに耐えて早く時間が過ぎるよう祈るしかなかった。

あれから20年近く経つが、ここ3年程たまに(夢の中で)旅行先の和室で待たされて、山から来る化け物の生け贄にならなきゃいけない夢を定期的に見る。逃げられず汗をかいて目が覚める。
10月上旬に、パーントゥという「神様」が、泣き叫ぶ子どもたちの顔に「厄を払う」名目で無理やり泥を塗りたくる映像を見て泣きながら、ここ数年間に見る悪夢の原型は、小4の時のなまはげ体験に由来するのではないかと気付いた。

パーントゥの振る舞いはとても神様と思えない。

Eテレ「100分de名著」、今月は民俗学者折口信夫の“古代研究”だった。第3回では折口信夫が考える日本の芸能の発生について解説されていた。もしかしたらパーントゥ流浪の民として虐げられてきた者が生活のお金の為に宗教という形から脱却し笑いを取り入れた結果の一つなのかもしれない。
しかしそれにしたって、本気で「嫌だ」と泣き叫ぶ赤子や子どもの顔や体に無理やり泥を塗るのは(拒否示せないケースも恐らくある)(しかも中身の演者は映像で見る限り仕草からして恐らくほぼ男性だろう)、個人的には児童虐待や虐めや性犯罪・性的虐待etc.とも通ずるものが感じられて気分が悪くなる。

近年、お笑い界では“優しいお笑い”が増えてきた。そんな令和5年において、しきたりとして横暴とも取れる振る舞いが非科学的な“厄払い”として大人(強者)が子(弱者)に強制する(楽しんでいる)パーントゥetc.の“伝統”行事は、正直時代錯誤だし至極野蛮ではないだろうか。厄を払うにも、非科学的であっても今の時代にもっと相応しい、誰にも嫌な思いをさせずに済む方法があるはず。

パーントゥや同類の伝統行事は今後、少なくとも7歳以上とか、且つ子ども相手にもきちんと事前に説明をする、パーントゥの行事に参加するにあたってトラウマや心の傷を抱える可能性があることを十分に知らせたうえで、周りがどうとかではなく個人の意思で自発的に同意した者だけが参加できるようにするとか、参加した子がトラウマ等抱えた場合適切に治療やカウンセリング受けられる体制を整える、パーントゥが嫌だった大人の声を公にするとか、そういったことがきちんと成されたうえで(参加希望者だけで)“伝統”として続けていくのが良いのではと思った。